Published: 2025-08-29 20:10

映画『リモノフ』──ロシアで上映禁止となった作品の監督が語る、ルサンチマンと戦争の関係

ロシアの鬼才キリル・セレブレンニコフが、脚本家・監督としても活躍する小説家エマニュエル・カレールの伝記小説『リモノフ』を、俳優ベン・ウィショーを主演に迎え映画化。ロシア社会を風刺し、プーチン政権批判を繰り返してきたセレブレンニコフ監督に、政治的制約がある中でも貫く創作の信念を尋ねた。

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ロシアのウクライナ侵攻に反対を表明し、芸術がこの戦争の終結に貢献できると確信しながら、精力的に作品の制作を続けるキリル・セレブレンニコフ。最新作で描くのは、詩人、革命家として世界から注視され、危険視されたロシアの実在の人物エドワルド・リモノフことエディだ。エディを「ロシアのジョーカー」と呼ぶセレブレンニコフは、戦争に向かっていく一人の男性の心の変化をどう見つめたのだろう。

本作『リモノフ』は、ソビエト連邦下で青春期を過ごし、ニューヨークで自由と挫折を味わい、パリで文学的栄光を掴み、最後には戦争を望む活動家リモノフとなったエディの激動の人生を、コラージュのような圧倒的な映像で綴る。セレブレンニコフは、エディの心に根を張る「ルサンチマン」を通し、ロシアで今まさに起きている暴力の根源を問いかける。演劇と映画を明確に分け、芸術を「重力さえ無視できる完全に自由な空間」と捉える鬼才にインタビューした。

──エディは、映画の中でヒーローでも悪役でもなく、矛盾と魅力に満ちた人間らしいキャラクターとして描かれます。この曖昧さが彼の魅力だと思いますが、あなたはその曖昧さをどう捉えていましたか？

悪党という意味ではなく、革命を起こすエネルギーを溜め込んでいるという意味で、私は彼を「ロシアのジョーカー」と呼んでいました。ジョーカーは普通の悪役と違って感情を持っていて、泣いたり笑ったりもします。エディも同じように曖昧な部分があると感じています。ただエディの一番の魅力は、リモノフ本人ができなかったことを平気でやってしまうところです。アメリカを破壊したいとか革命を起こしたいとか、自分の体を傷つけるとか、私たちが考えたことがあるかもしれないけど絶対実行しないことを平気でやってしまう。でもそんな中にありながら、親を愛したり、愛する人のために頑張ったりもする。感情的に非常に幅が広いんです。それが主人公としての重要なポイントだと思います。

──ベン・ウィショーが素晴らしくリモノフの魂を体現していましたが、彼がこのキャラクターに貢献した、脚本に書かれていない部分はありますか？

ベン・ウィショーと打ち合わせする段階で、私がどういう人物を演じてもらいたいかを細かく伝えて、彼も彼のビジョンを伝えて、共同で最終的なキャラクターを作り出したという部分が大きいと思います。ベン・ウィショーは演技力もすごいのですが、それ以上に直感が素晴らしくて。撮影前にリモノフの色々なインタビューを大量に送ったのですが、実際に撮影を始めてカメラを回した瞬間に、もうリモノフ本人に変身していた。それは、撮影現場のスタッフに聞いても、みんな「これはリモノフだ」と一瞬でわかるほどでした。彼はキャラクターを演じるのではなく、直感で演じ、そのキャラクター自身になるのがすごくうまいんですよね。そこが素晴らしいところで、だからこそこのようなキャラクターが生まれたんだと思います。

──この作品はパンク、ノワール、エピックなど、さまざまなスタイルのコラージュのように感じます。これはエディのアイデンティティの反映なのか、それとも歴史に対する監督のまなざしがコラージュ的なのでしょうか？

この映画は、主人公のさまざまな顔を見せています。エマニュエル・カレールが書いた本の中にもさまざまなエディがいて、各エディが各時代を代表していると感じています。実は映画では編集でカットしましたが、子ども時代のエディも撮影していたんです。時代が変わると同時に、エディの性格や見た目も変わっていく。時代が彼のスタイルを変えていくと同時に、彼が各時代の鏡となり、その時代を体現している。映画も白黒からカラーに変わったり、ニューヨーク、パリ、ロシアなどへ移動しますが、各時代それぞれに特殊な質感があるので、それを映画の中で表現しようとしました。

──舞台からキャリアがスタートしているバックグラウンドもあるかもしれませんが、あなたの作品は構図や演出がときに舞台的でありながら、とても映画的なものとして完成されているように感じます。演劇と映画の間にある境界線をどう捉えていますか？

私の中では演劇と映画は全く違う世界です。映画を撮っているときは演劇のことを全く考えないし、演劇の仕事をするときは映画のことを忘れます。なるべく混ぜずに、それぞれ異なる世界として扱っているので、正直、境界がどこにあるのかよくわかりません。とはいえ、おっしゃる通り、映画の中で舞台的な要素があることはありますよね。表現の仕方がたまに舞台に似ていたりします。でも、そう考えると黒澤明だって、ルキノ・ヴィスコンティだって舞台的と言えますよね。なので、2つの世界は全然違うものだと思っています。

──現在、あなたの手がけた作品はロシアでは上映禁止という状況ですが、それを踏まえて、芸術における自由をどのように考えていますか？

今の時代、難しい問題ですよね。ただ、私の中で自由とは、まず自分の立場を意識することです。今どこにいるかを意識してよく理解すること。そして自分の恐怖と対面すること。人は誰でも恐怖心がありますが、それをよく理解して直面し、どう向き合い、どう乗り越えていくかを考える。それを越えたところに自由があると考えています。私たちは、基本的に社会の中で生活していて、各社会にはそれぞれルールがあり、人間はそれに従う必要があります。しかし、私の中で、芸術は、重力さえ無視してもいい完全に自由な空間です。妖精、巨人、悪魔、天使がいてもいいし、時間が止まったり、どんなことが起きてもいい。芸術、特に映画は本当になんでもできます。そういう映画を観ることで、生活が少しでも豊かになると信じています。

──今回、クリエイティブな人間が戦争に向かっていく姿を描くことで、ロシアの暴力やファシズムの根源を問おうとされたそうですが、この作品を完成させたことで、何か見えてきたことはありましたか？

リモノフの場合は、世の中の暴力やファシズムと対面し、どう向き合うかということではなく、そういうアイディアが彼の中で生まれて、自分の内側からそれを外に出していく感覚だったのだと思います。アメリカに移住して仕事もなく恋人にも去られ、母国にも帰れない。周りの世界に対して怒りを持ったんですよね。自分が悪いのではなく、周りのせいだと感じてしまった。その気持ちがどんどん発展して、世の中を動かしていく。これは世にいう、ルサンチマン、つまり弱者の心理の物語です。今ロシアで起きていることも、まさにルサンチマンです。周りからいろんな悪口を言われて、落ち込んで、その弱い心から周りに暴力を振るってしまう。問題を解決するのではなく、すべてを他人のせいにしてしまう。リモノフの心の中で起きていたことと同じなんです。このルサンチマンという言葉が、この映画のすごく重要なキーワードであると思います。

■キリル・セレブレンニコフ

1969年生まれ、ロシア出身。演出家、映画監督。モスクワ芸術座などで多くの舞台演出を手掛ける。政権に批判的な姿勢が政府から目を付けられ、逮捕。2022年ロシアから亡命し現在はドイツなどで活動中。『LETO ‐レト‐』（18）で第71回カンヌ国際映画祭サウンドトラック賞最優秀作曲家賞受賞、『インフル病みのペトロフ家』（21）で第74回カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞受賞、『チャイコフスキーの妻』（22）で、第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出された。

■『リモノフ』

9月5日（金）より新宿ピカデリーほか全国公開 配給：クロックワークス © Wildside, Chapter 2, Fremantle España, France 3 Cinema, Pathé Films.

文・小川知子 編集・遠藤加奈（GQ）